春陽の放生池

春陽の放生池

春のお彼岸(はるのおひがん)

 “彼岸”とは迷いの世界であるこの世(此岸)を離れて悟りの世界(彼岸)を求めることです。その悟りの世界に到達する実践目標として 六つの心がけ(六波羅蜜)が示されています。

1.布施(ふせ)
2.持戒(じかい)
3.忍辱(にんにく)
4.精進(しょうじん)
5.禅定(ぜんじょう)
6.智慧(ちえ)

 春と秋のお彼岸に合わせて六波羅蜜をお話ししています。今回は二番目の持戒についてです。「戒律」という言葉が一般的ですが、仏教用語では「戒(梵:Vinaya,ヴィナヤ)」と「律(梵: śīla,シーラ)」はいずれも仏教徒が守るべき倫理基準ですが、その性格は異なります。
 まず律です。人間は、小は家族から大は国という共同体を形成して暮らしています。しかし、現実の人間社会には善悪が混在し、構成員もすべて同じ理念を持つわけではありません。 このため共同体の秩序維持には規律・規範が必要となります。これが律でいわば他律的な規則で破れば罰則が伴います。一般的には法律です。
 戒は梵語シーラの漢訳で、元の意味は「習慣」です。在家者、出家者を問わずお釈迦さまの教えを守るという自発的な日々の心構え、努力をいいます。 戒は犯したとしても処罰がなく、仏に懺悔して改めることを求める自律的な規則です。まず戒を守る「持戒」から、仏の弟子としての修行が始まることになります。
 戒や律の項目は修行の段階によって増加しますが、出家者でない世俗人が守るべき戒律として仏教は「五戒」を挙げます(ちなみに、出家者である僧と尼僧に対する戒律はそれぞれ二百五十、三百四十八あるといわれます)。

  • 不殺生(ふせっしょう) 生き物を殺すな。私たちは他のいのちを頂いて生きていますから、”いただきます”という感謝の気持ちを忘れてはいけません。
  • 不偸盗(ふちゅうとう) 盗むな。しかし、何でも自分のものにしたいという気持ちが起こります。独占は一種の偸盗です。
  • 不邪淫(ふじゃいん) みだらな異性関係を持つな。誰もがわかっているけれど、往々にして忘れられています。
  • 不妄語(ふもうご) 嘘をつくな。人間は自分がかわいいから無意識に嘘をついて自分を庇ってしまいますが、自分には嘘をつけません。
  • 不飲酒(ふいんしゅ) 酒を飲むな。人にもよりますが、酔うと自分を見失いまわりの人に迷惑をかけます。分かっていても止められない、今も昔も守ることの難しい戒です。

 今の世の中、期せずして破戒することも多々あります。戒がそこで問うのは慚(ざん)すなわち自分自身に恥じること、愧(き)すなわちその気持ちを仏に示すことです。 仏教の教えは自分自身を律することに重点を置きます。