
モクレン
春のお彼岸
“彼岸”とは迷いの世界であるこの世(此岸)を離れて悟りの世界(彼岸)を求めることです。その悟りの世界に到達する六つの心がけ(六波羅蜜)が示されています。
布施(ふせ)~あなたは何を与えられますか。何をえていますか。
持戒(じかい) ~ あなたはルールを守っていますか。
忍辱(にんにく) ~ あなたは我慢しなくてはならないときに我慢できますか。
精進(しょうじん) ~ あなたはいつも前向きですか。
禅定(ぜんじょう) ~ あなたは常に静かな心でいられ ますか。
智慧(ちえ) ~ あなたはいつも佛さまの智慧を戴いていますか。
昨秋には持戒のお話をしました。今回は三番目の忍辱についてです。
辞書を調べるとほとんどが「種々の侮辱や苦しみを耐え忍び心を動かさないこと」と解説しています。仏教では瞋恚(しんに=怒り)を仏道修行の大きな障害と見ます。釈尊は「我その時において忍辱を修習して行、卒暴ならず」と述べられています。怒りにまかせた言動は全てを台無しにし、残るのは後悔のみです。このため、他者からの迫害・侮辱あるいは災害・危難などによってもたらされる苦難に対して堪え忍んで怒らず、動揺しないことをまず説きます。しかし仏教の説く忍辱は単なる我慢・忍耐ではありません。悟りへ至るための行なのです。経典(解深密経巻第四)は耐忍、安忍、諦忍の3つの忍辱を挙げます。
・耐忍=耐怨害忍(たいおんがいにん)
人が自分に種々の害を加えても、それに耐えて微塵も報復心を起さないこと。
・安忍=安受苦忍(あんじゅくにん)
順境、逆境いずれにあっても心を乱さずに忍ぶこと。
・諦忍=諦察法忍(たいさつほうにん)
諸法実相を諦(あきら)かに認識し、空を悟る智慧を得たならば、
すべての「苦」を乗り越え、安心を得られること。
仏教の説く忍辱は禅定、智慧と深く結びついていることがわかります。智慧に依拠した忍によって心を静めてこそ、行を妨げるあらゆる苦難を忍ぶことができるといいます。我々凡夫にとって最も困難な行かもしれません。