四海浪平
令和八年の干支は丙午(ひのえ・うま)です。そこで、馬について、思いつくまま述べさせていただきます。
五十数年前、私が学生時代、京都の本山で随身していた頃のことです。当時六十才代だったと思いますが、われわれ学生と同じように、本山に寝泊まりして、寺の雑務をしておられた方がいました。なんでも、戦時中、満州だったかと記憶していますが、軍馬の世話をされていたそうです。ずいぶん小柄で、口数の多い方ではありませんでしたが、馬のことになると、目を輝かせて話されていたことを思い出します。
当時使っていた馬具を見せてくれたり、「馬はかわいいんだ。今でも、馬は飼ってみたいと思っているが、車なら使わないときはガソリンがいらないが、馬は乗らなくても餌代がかかるからな」とか、「馬は、電車の線路を渡るのをいやがるんだ。電気がピリピリくるからな」と、本当とも冗談ともわからないようなことを、折々話して聞かせてくれたものです。
馬は、犬や猫のように、だれもが日常茶飯、触れ合うことができる存在ではありません。しかし、歴史や文学の中の重要な役割を果たすような場面で、馬はたびたび登場し、われわれにとっては、とても親しみ深い動物です。まず、仏教に関連する馬として忘れてならないのは、釈尊が出家した際、カピラ城からアノーマ河の辺まで乗っていった、「カンタカ」という白馬です。釈尊は、当時妻子ある太子という身分で、やはり、出家するにはためらいがあったわけですが、このカンタカが出家を促したとされています。従者チャンナに御され、釈尊と別れて帰城してからは、何も口にせず死んで、天界に生まれたとも、バラモンの子に生まれ変わり仏弟子になったとも伝えられています。
中国の『三国志』に登場する「赤兔馬」は、一日千里を駆ける汗血馬で、劉備の忠臣、関羽が乗りこなした名馬として有名です。一方、日本においては、『平家物語』に登場する、宇治川の先陣争いにおける、佐々木高綱の「いけずき」と、梶原景季の「する墨」とのデッドヒートが、熱く語られてきました。
今も時代を超えて、世界中の子どもたちに愛読されている小説に、『黒馬物語』があります。ブラック・ビューティとよばれる美しい馬が、大地主の馬車用の馬から貸し馬車ひきの馬、辻馬車の馬と転々し、最後にやさしい飼主のところで余生を送るまでを、馬自身が語るという形式で描かれています。英国の女流小説家シュウェルが一八七七年に発表した、感動的な動物物語です。
また、『スーホの白い馬』という、小学校の教科書にも採用されている、「モリンホール(馬頭琴)」の由来を描いた、モンゴルの昔話があります。
貧しい遊牧民の少年スーホは、白い子馬を拾い、その子馬を大切に育てます。それから何年かたち、領主が、娘の結婚相手を探すため競馬大会を開きます。スーホは立派に成長した白い馬に乗り、見事優勝します。しかし、領主は、スーホを娘とは結婚させず、スーホに銀貨を三枚渡し、さらには白い馬を自分のものとして奪ってしまいます。スーホはその命令を拒否したため、領主の家来達に暴行され、命からがら家に帰り、なんとか傷は癒えるものの、悲しみは消えることはありませんでした。
白い馬もスーホを慕い、領主が宴会をしている隙を突いて逃げ出しますが、逃げ出した際に領主の家来達が放った矢に体中を射られ、スーホの元に戻った時には、もう瀕死の状態でした。
看護むなしく白い馬は次の日に死んでしまい、スーホは幾晩も眠れずにいましたが、ある晩ようやく眠りに就いたとき、夢に白い馬が出てきて、自分の体を使って楽器を作るようにスーホに言い残します。そうして出来たのがモリンホール(馬頭琴)であった、というのです。
いかがでしょうか。馬頭琴の哀愁漂う音色は、本当にそんなことがあったかのような思いを抱かせてくれます。以上のように馬は、古くから人間にとって、好きパートナーであったといえますが、アレクサンドロス大王の「ブケパロス」、ナポレオンの「マレンゴ」、乃木大将の「寿号」等々、軍馬として、戦いの道具として使われてきたという、暗い過去があるということも忘れてはいけないと思います。
新しい年が始まります。人間同士、国同士においても同様、「馬が合う」「馬が合わない」は、まずは、「馬には乗ってみよ、人には添うてみよ」ということでありましょう。馬も人間も、戦いのない、平和で、「四海浪平」であるよう、皆で祈念いたしましょう。
(潮音寺 鬼頭研祥)