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 みかえり法話
 


初秋の川風
初秋の川風

今思うこと


  この夏命を受けてあるお寺の住職に就任することになりました。生まれ育ったお寺の住職を退き、自分の時間を持てる楽しみを味わっていた最中の任命でした。新しいお寺でのお勤めや身の回りのことなどいろいろな思い煩いが沸き上がり、少なからず迷ったのですが新住職を拝命する決心をいたしました。今回は朝晩の日課の中で思い直したことや改めて確認できたことを述べてみたいと思います。
  まず、新しい環境に飛び込むことへの不安、むしろ気後れと言っていいかと思いますが、このことに対する心の整理です。長年佛に仕えてきた私ですが新たな出来事に遭遇するとやはり思い煩います。でも心を鎮めて熟慮すると、そこに佛さまの働きを感じるのです。阿弥陀佛はどんなことがあろうとも私を見放さず抱きとられている。苦悩や思い煩いを自力で克服しようとするからより深い苦悩に陥るのであり、阿弥陀佛は苦悩のまま思い煩うことを勧められている。「困る時には困るもの。ただどう困っても大丈夫だというところで困っているのだよ」と。言葉をかえれば、私が感じ取ろうが取るまいが、私の計らいを超えて常に私に注ぎ込み続けてやむことのない働きがあると思い直したのです。
  過去・現在・未来のさまざまな事柄が相互に作用しあって、今ここに私が生かされていることに気付けば、どこにいても私は私として生かされる。苦しい時もあれば楽しい時もあり、やりがいのある時もあればない時もある。そんな世の現象のみにとらわれず、今生きている私がやるべきことをやるというのが一番大事であると改めて確認したのです。もっといえば、遠い昔から私の見知らぬ張り巡らされた計らいのご縁を感じた時、「そのままでいいのだ」という佛の声を聞く思いがしたのです。
  私たちは目に見えない無色透明の張り巡らされた縁の網の中に生きているのです。佛さまの計らいの中に居つつ私たちの心の中に佛さまが居る世界、佛さまの「摂取不捨」を今回の住職拝命を通じて体感したように思うのです。これは、私たちが生きている娑婆世界と浄土との関係と同じではないでしょうか。

 


「みかえり法話集」
 (PDFファイル983KB)